最近よく「NFTアート」や「クリプトアート」といった名前を目にしますよね。「NFTは儲かるぞ」などと怪しい話も多く、「あー、知ってる、新手の詐欺だ」と思って無視している方も多いでしょう。
そうした中、クリプトアートジャパンが絵画100点をスキャンし、NFT化後、爆破焼却したという驚きのニュースが飛び込んできました。
- 「これはひどいでしょ!」
- 「アートをなんだと思ってるんだ!」
こうした声が聞こえてきそうです。ただ、このような表現を見ているといやが上にも「アートとはなんなのか」を考えてしまいます。
美術館に便器を展示したマルセル・デュシャン以降、現代アートは技巧から、「何を・どう」表現するのかへシフトしていきました。その意味では「NFT」は、単なる「怪しい儲け話」ではなく、アートへ少なからぬ影響を与えるかもしれません。
本記事では「NFTがアートへ及ぼす価値の変化」をわかりやすく解説していきます。NFT投資等の話はありません。アート投資を詳しく知りたい方は、アート投資について書いた別の記事をご参考ください。
■この記事はこんな方におすすめです
・「NFTについて簡単に知りたい」
・「NFTとアートについて知りたい」
・「NFTを自分なりに考えてみたい」
■今回の参考文献はこちら
・『複製技術時代の芸術』
・『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 』
・『現代美術史-欧米、日本、トランスナショナル』
NFTをわかりやすく解説
NFTとは
「NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)」とは、ブロックチェーンに保存されているデータの単位であり、その中でも相互に代替できない唯一性を持つものを指します。こうした背景から「デジタル署名」と表現されることがあります。また、NFTはブロックチェーン技術を用いることで、所有の履歴を追跡することができるため、他者による複製はできないとされています。そして、NFTはアートだけでなく動画や音楽などデジタルファイルを表すことができ、デジタルコンテンツの新たな発表方法として注目されています。
非代替性?トークン? ダメだ、さっぱりわからん
悩めるおぬしのために、ワシがもうすこし噛み砕いて説明してやろう。
わっ、仙人が脳内に直接語りかけてきた!
たとえば、1万円札は薄汚れていようと1万円札じゃ。小汚くとも綺麗であっても、1万円の商品を買うことができる。これは1万円札が、汚れ云々関わらず、平等に1万円という価値を持っているということじゃ。ワシの1万円札で買えるものは、おぬしの1万円札でも買える。これが代替性を持つ、ということじゃな。
あ、じゃあ、ビットコインも代替性を持ちますか? 誰かの1BTCも別の誰かの1BTCも、同じ価値ですよね。
そうじゃな。専門的な話をすると込み入ってしまうが、現状ビットコインをはじめとした暗号通貨は、代替性を持つと言ってよい。
一方、NFTの場合は、代替性を持たないようつくられておる。ゆえに、ひとつひとつが別のものとして定義される。たとえば同じ柴犬であっても、ワシが飼っているタロウとおぬしが飼っている柴犬とでは違うのと似ているな。
確かに、ぼくの「X Æ B-XI」は世界一可愛いです!
おぬしの柴犬、イーロン・マスクの子どもみたいな名前じゃな!
……こほん。ちなみに、「いつ誰がつくり、これまで誰がどの期間所有していたのか」の履歴が正確に残るのも、リアルアートにはないNFTアートの特徴じゃな。NFTを所有するということは、その作品の歴史も所有するということかもしれんな。
デジタルコンテンツは従来複製が可能とされてきました。しかしNFTがデジタルコンテンツに複製困難な唯一の価値を与えるようになります。こうして価値の担保されたNFT作品が、オークションなどで盛んに売買されています。
中でも、2021年3月11日(米国時間)にオークションハウス「クリスティーズ」において行われたオークションは特筆すべき事件を起こします。この日、NFT作品《Everydays – The First 5000 Days》が6900万ドル(約75億円)で落札されました。
見かけの金額もさることながら、この出来事によりNFTをアート界が一目を置いていることが明らかにされます。
また、Twitter CEOのジャック・ドーシーが自身の最初のツイートをNFT化しオークションに出品、およそ3億円で落札されます。AIロボット・ソフィアのNFTデジタルアート作品はおよそ7500万円で落札。そしてNFT特化の美術館がニューヨークに建設予定など、未だNFTの熱は冷めません。
NFT化とは
デジタルコンテンツをNFTマーケットに出品することでNFTとして販売することが出来ます。このことを指し、デジタルコンテンツの「NFT化」と呼びます。
他方、デジタルコンテンツでない実物をNFT化は出来ないのかといえば、そうでもありません。実物をスキャニングしデータ化することで、データをNFT化することが可能です。現に、バスケットボールの試合のハイライトをNFTとして販売する「NBA Top Shot」というサービスも開始されています。
現在、国外国内における主要なNFTマーケットは以下の5つ。
「OpenSea」「Rarible」はNFTマーケットの最大手、「nanakusa」「ユニマ」「NFTマーケットβ」は日本でNFTの売買を行うことが出来るマーケットです。
あわわ、ぼくもNFT作品売らないと……。
(おもむろにスマホを取り出す)
おぬしの自撮りをNFT化したところで、誰も買わんと思うんじゃがのう。
ちなみに、NFT化されたアート作品は「クリプトアート」とも呼ばれるぞい。
クリプトアートジャパン「燃えるアート展」を考える
私たちクリプトアートジャパンは、現物として存在するアート作品をデジタル化、NFT化し、そして現物のアートを爆破焼却してしまう「燃えるアート展」を開催します。
実体のあるアート作品が、手に取れる現物ではなくなり完全にデジタル化されたとき、どんなことが起こるのか、何か新たな価値観がそこから生まれるのか、それは私たちにもわかりません。
https://www.cryptoartjapan.com/
- 「話題性づくりでしかない」
- 「馬鹿にしている。不愉快」
- 「アートが変容してきた証拠だ」
クリプトアートジャパンが企画する「燃えるアート展」は肯定・否定問わず様々な反応を生みました。
この企画では、既存のアート作品をNFT化・爆破焼却するのではなく、本企画のために応募された作品をNFT化・爆破焼却します。そのため、企画に対しある程度好意的なアーティストが参加していると言えます。しかしながら、「初めからデジタルデータで募集した方がいいよね」「わざわざ爆破焼却する必要性がわからない」といった意見も見受けられます。
ここで問題とされる以下のことについて解説していきます。
- なぜリアルアートを募集したのか
- なぜNFT化後に破棄したのか
これらの問題を理解することで、NFTと現代アートの一端を知ることが出来ます。
リアルアートをNFT化する意義
NFT化による最大のメリットが、作品の保管が容易になるということです。
リアルアートの保管の場合、劣化や紛失リスクと背中合わせとなっています。セキュリティを強化し、盗難リスクを軽減する必要性も生じます。また、思わぬ事故や災害により、落下による破損、浸水や洪水などで取り返しのつかない劣化・紛失が生じる可能性もあります。
そのため、リアルアートを管理・維持するためのコストは高額となります。一方、NFTとなった場合、劣化や紛失は避けられますし、保管スペースの確保は不必要となります。
じゃあ、データが破損した場合はどうなるのでしょう?
実は、一部のデータが破損しても復元できるのがNFTの良さでもあります。NFTを可能としているブロックチェーン技術は「分散型台帳」とも呼ばれ、データをひとところで管理するのではなく、あちらこちらにデータを分散しておきます。各データは相互に補完し合い、どこかのデータに破損があった場合も、他のデータから修復が可能なんです。
「100年後、200年後まで残る名作」は、作品自体の価値だけでなく、100年後まで残り続けたという運にも恵まれていたことを忘れてはいけません。NFT化は100年後まで残すという点で、運に左右されない再現性があるのです。
こうしたリアルアートのNFT化が技術的にも可能になったこと、そしてそれを実際に行うためにリアルアートを募集したのでしょう。既存の作品でなく、募集した作品に限定したのは、NFTに関する権利関係が明確になっていないからです。
「燃えるアート展」を批判する者の中には、ネットニュースのタイトルだけを見て「既存作品を燃やすなど言語道断!」と早とちりしてしまってる者も少なからずいそうじゃのう。そもそも、既存の作品を爆破焼却しおったら、「利己的な企画だ!」として日本のみならず海外からも非難轟々じゃったろうな。
いろんな意味で「炎上」しそうですもんね……。
NFT化と「オリジナル/複製」
リアルアートを、見た目や色合い、質感に至るまで、完璧にデータとして落とし込むことが出来たとき、そのデータとオリジナルとの間にどれほどの違いがあるでしょうか。あるいは、そのデータをもとに精巧な複製が作成可能であるならば。
NFT化と「オリジナル/複製」の問題は切っても切り離せない関係にあります。この理解のヒントは「版画」にあります。
版画には、刷られた「版画」と刷られるもととなった「原版」があります。しかし、版画を「原版の複製」とは捉えません。一枚一枚がアーティストの作品であり、それぞれに限定番号やサインを入れるのです。そして重要なのは、一定枚数刷ったあと、刷り増しが行われないよう、原版を壊したり傷をつけます。
言い換えるならば、「原版を壊すことによって、版画が固有の価値を持つ」とも言えるでしょう。
このことと、NFT化ののちに絵画を焼却したことは、実は同じ文脈なのです。リアルアートという「原版」を破棄することで、NFTが価値を持ちます。
版画は「刷る」ことにも技術が求められるものの、NFT化はひとが介在する余地が少なく、機械により再現性高く同様のNFTを生成することが可能です。
NFTの場合、「原版」が残り続けるのであれば、あくまでも「原版」の複製でしかありません。真の意味でNFT化を実現するには、「原版」である絵画を破棄しなければならなかったのです。
まとめ
以上をまとめると、こんな具合じゃな
- NFT化することで保存と管理が容易になり、劣化や紛失といったリスクを軽減できる。
- 真の意味でリアルアートをNFT化するには、もととなる「原版」を破棄する必要がある。
わざわざ爆破焼却という手段をとったのは、パフォーマンス化することでNFT化そのものにアート性を持たせたかったんじゃろうな。
「何を・どう」表現するのかに重きを置く現代アートにおいて、この鮮烈なパフォーマンスは注目に値します。爆破と焼却は、否応なく「何かが失われる」という感覚を呼び起こすものです。この失われるものとはなんでしょうか。リアルアートとNFTアートとでは、なにが違うのでしょうか。最後にこの部分を掘り下げます。
「燃えるアート展」開催に際した、クリプトアートジャパンのコメントをもう一度引用します。
私たちクリプトアートジャパンは、現物として存在するアート作品をデジタル化、NFT化し、そして現物のアートを爆破焼却してしまう「燃えるアート展」を開催します。
実体のあるアート作品が、手に取れる現物ではなくなり完全にデジタル化されたとき、どんなことが起こるのか、何か新たな価値観がそこから生まれるのか、それは私たちにもわかりません。
無責任とも受け取れるコメントですが、この「何か新たな価値観」のような「言いようのない変化」をこそ、扱いたかったのでしょう。新たな技術は「喪失」と「変化」を生みます。
ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンは1936年に「複製技術時代の芸術」という評論を残しています。そこでベンヤミンは、写真など複製技術によって芸術作品から失われたもの(作品の一回性によって生じる権威や伝統、歴史など)を総称して「アウラ」と呼びました。ここで重要なのは、ベンヤミンはアウラの喪失を悲観していないということなんです。写真によって芸術は大衆にひらかれ、芸術は儀式的事物から鑑賞的事物へ、そして政治的事物へと用途が拡大していきます。アウラの喪失を嘆くのでなく、喪失の先にある「変化」をきちんと理解しようよ、ということです。
「SaaS(Software as a Service)」といった考え方が普及してきており、「モノ」ではなく情報やサービスといった「コト」に比重が置かれるようになってきました。自動運転やクラウドサービスは、物流のあり方を革新的に変え、「場所」や「時間」から解き放ちました。VR技術では、それまで揺るぎないものとして捉えられていた「身体性」すらも見せかけのものであることを示しました。
リアルアートのNFT化は、今後も誰かの手で行われることでしょう。公募作品でなく、既存の作品をNFT化することもあるかもしれません。ピカソやゴッホの絵すらもNFTとなるのかもしれません。そのとき、何が「変化」するのでしょうか。
「燃えるアート展」はそうした「変化」の兆しかもしれません。