「ロボット」と聞いて「便利な道具」とすぐ想起するかもしれません。
現在、AIは暮らしを便利にする一方で、誰かの仕事を奪うかもしれないと言われています。「便利」と「仕事を奪われる」は背中合わせのようです。しかし実は、「不便」で「手のかかる」ロボットを研究しているひとたちもいるんです。
この記事ではひとと共生するロボットである「弱いロボット」について解説していきます。
「弱いロボット」とは、「自分で掃除が出来ないゴミ箱ロボット」や「モジモジしながらティッシュを配るロボット」など、「ひとりでは何も出来ないロボット」です。そんな「弱いロボット」は周りの助けを借りることで「何でも出来るロボット」になることができます。
「弱いロボット」は、AIやロボットだけでなく、ひとのコミュニケーションそのものを見直すきっかけを与えてくれます。
■こんな人におすすめ
・弱いロボットについて知りたい
・ロボットの活用方法を知りたい
・AIについて考えを深めたい
「弱いロボット」とは何か
「弱いロボット」とは
「弱いロボット」は「ひとりでは何も出来ないロボット」です。そのため、ひとの手助けを前提としています。ひとの手を借りることで、あらゆる問題を解決するロボット。言い換えるならば「ひとと共生するロボット」です。
従来、ロボット研究では「便利でひとの役に立つ」ということを主軸に開発されてきました。そのような「強さ」ではなく、あえて「弱さ」に着目し研究されたのが「弱いロボット」です。
「弱いロボット」を研究するのは、豊橋技術科学大学教授の岡田美智男さん。
「弱いロボット」という名前は、岡田美智男さんが執筆した『弱いロボット(シリーズ ケアをひらく)』において、担当編集の方が提示した名前です。それまでは「関係論的なロボット」や「社会的(ソーシャル)なロボット」と呼ばれていました。
ロボットとひとの「関係」や「社会」とはなんでしょう。そして、どのように「ヒトと共生」するのでしょう。いくつかの「弱いロボット」を紹介つつ、確認してみましょう。
弱いロボットの紹介5選!
「弱いロボット」にはどのようなものがあるのでしょうか。
岡田美智男さん率いる岡田研究所が開発したいくつかのロボットを見てみましょう。
ここでは、代表的なロボット5体を紹介します。
その① ゴミを拾えない「ゴミ箱ロボット」
「ゴミ箱ロボット」は、一般的なゴミ箱にホイールをつけただけの、シンプルな見た目をしています。
ルンバを初めとした「お掃除ロボット」は数多くありますが、このロボットは「お掃除」することができません。ゴミを拾うことも出来ません。出来ることは、ゴミのもとへヨタヨタと歩いていき、困ったように体をゆらす。そしてゴミを自分で拾えないことを悟ると、ススッと近くにいる人のもとへ近づき、お願いするように頭を下げる。これだけ。
「ゴミ箱ロボット」の健気な姿は、思わず「ゴミを拾ってあげよう」という行動を促します。
ロボット自体の性能としては実にチープです。でも、「チープなのにゴミを拾うという目的は達成している」という事実がミソです。
岡田美智男さんは、ルンバをはじめとしたお掃除ロボットが、万能ロボットではないことに触れつつ、「お掃除ロボットの邪魔にならないようイスをどかしたり、引っかからないようコードを束ねたりする。すると、いつの間にか家の中は綺麗 に整理されてる」と語ります。イスをどかし、コードを束ねたのは岡田さんですが、お掃除ロボットが「イスをどかし、コードを束ねることを促した」とも言えるわけです。家の中の整理は、ひととロボットによって成されたという考え方です。
「ゴミ箱ロボット」は「ゴミを拾って」と一言も言わないのに、拾ってあげてしまう。さらにはゴミ箱の色に目をつけた子どもが、自分の意思で分別を始める。
自己完結した「強いロボット」ではないからこそ、高価な技術を削ぎ落としたチープデザインでも目的を達成できる。そんなことを「ゴミ箱ロボット」は教えてくれます。
その② もじもじロボット「アイ・ボーンズ」
「アイ・ボーンズ」はもともと博物館を案内してくれる「子ども館長」をイメージして開発されました。その後「博物館」から連想され、骨のようなデザインのロボットとなりました。名前が「アイ・ボーンズ(iBones)」なのも「骨」が由来しています。
「アイ・ボーンズ」はひととコミュニケーションをとることが苦手です。常におろおろと、もじもじとしています。腰の部分にスプリングが入っているため、1動作ごとにゆらゆらと頭を揺らす姿もまた、「もじもじ」しているように見えます。
「アイ・ボーンズ」はもじもじと、ティッシュを配ります。なかなか立ち止まってくれないひとたちに向かって、おそるおそるティッシュを差し出します。ティッシュ配りというよりは「ティッシュを受け取ってくれるひと探し」のようです。やさしい人が受け取ってくれると、「アイ・ボーンズ」はこれまたもじもじとしながらお辞儀を返します。
もじもじとしながらも、ちゃっかり「ティッシュを配る」という目的を達成しています。ティッシュを受け取る側も、「無理やりティッシュを受け取った」とは思いません。むしろ「ティッシュを受け取ることで、このロボットを助けてあげた」とすら思うことでしょう。
その③ 顔色をうかがう「トーキング・アリー」
「トーキング・アリー」は動けません。テーブルの上に固定され、瞳をキョロキョロ動かすことしか出来ません。その代わり、あなたの顔色をうかがいながら「あ、あのね」と話をすることが出来ます。
「弱いロボット」たちはヨタヨタしたりもじもじしたりします。「トーキング・アリー」も例に漏れず、トツトツと、「弱い」話し方をします。
「こんどね、ねっ、きいてる?」
「うん」
「こんどね、とっ、とうきょうでのね、オリンピックがね、きまったんだって、しってた?」
「ありがとう」は温かい言葉です。しかし自販機が口にする「アリガトウゴザイマシタ」には、感謝の気持ちを感じづらいものです。ロボットが口にする「アリガトウ」に心を込めるにはどうしたらよいか。そんな思いで「トーキング・アリー」は製作されました。
ロボットの「アリガトウ」はキカイ的で、自分に向けられている気がしません。この「アリガトウ」に足りていないのは、「他者」でした。言葉は、話し手によって自己完結していると思われがちですが、実際は聞き手との間でつくられます。
でー、あのさー、池袋……じゃなくて新宿のさ、駅でさ、えーっと、ほら、チーズケーキ?美味しいお店あったじゃん。んー、で、そこでさ、なんかこう、ふわふわっとした、わかる?そう、スフレ!スフレが発売してて、昨日買って食べたの! めっっっちゃうまいの、期間限定いちご味。でね、今度買ったげるよ、1回食べて!
ここで選ばれた「あのさー」や「なんかこう、ふわふわっとした、わかる?そう、スフレ!」という発話は、一件不必要そうに見えつつも、相手の人柄や反応・表情を見ながら選択されていることがわかります。このように、発話は話し手と聞き手による共同製作物であり、「他者」のいる発話にこそ人間らしさを感じられるのです。
「トーキング・アリー」にはアイトラッキング技術が用いられています。相手の視線が外れると「あのねっ、ねっ」と関心を維持しながら、少しずつ話します。臆病そうに繰り出される言葉に、自販機の「アリガトウ」のようなキカイっぽさは感じられません。
顔色をうかがうお話しロボット「トーキング・アリー」。聞き手といっしょに発話をつくる姿は、「アイ・ボーンズ」のような健気さがあります。
その④ 目玉だけの「む〜」
ドラゴンクエストのスライムのようなシルエットに、大きな目玉が1つだけついたロボットが「む〜」です。「スライム」から「む〜」と名付けられたのではなく、中国語の「目(mù)」が由来のようです。
「む〜」は言葉を話すことが出来ませんが、とてもおしゃべりなロボットです。「こんにちは」と声を掛けると「むむ〜」と返し、「あなた、お名前は?」と尋ねると「むむ、む、む〜、む〜」と答えてくれます。
この「なんか返答してくれてる感」が、「む〜」の最大の特徴です。赤ちゃんの喃語のように、言葉にはならないものの、聞き手の「解釈」を生むことができます。「もしかしたら、名前を答えてくれたのかもしれない」「何か困っているのかもしれない」「嬉しいのかもしれない」。
「む〜」は、不十分そうな発話によって解釈の余白を生み、そのため豊かな表現を可能にしています。「トーキング・アリー」が聞き手とともに「発話」をつくったように、「む〜」は聞き手とともに「会話と解釈」をつくり上げているのです。
その⑤ 並び歩く「マコのて」
「マコのて」はシンプルな顔の上に、ロボットの腕と手がついています。この手をつないで一緒に歩くことができます。
「誰かと手をつないで歩く」ことは、実はとても社会的な行動であることを忘れてしまいます。
互いの歩くペースに合わせ、まっすぐ歩きたいのか、右に歩きたいのか左に歩きたいのか、あるいは一度立ち止まりたいのか。言葉を介さないけれど、相手の意思を汲み取りながら進みます。
「マコのて」は互いの手をとって歩くことによって、ロボットの意思(のようなもの)を推し量るというデザインになっています。
言葉を交わす、狭い道をすれ違う。こうした場面では相手との「対峙する関係」を想定しやすいものの、「会話」や「すれ違い」という場面に対して、ふたりは並んでいるという考え方も出来ます。岡田美智男さんはこのような関係を「並ぶ関係」と表現します。つまり、2者間でのみの問題でなく、課題に対し2者が並んでるというのです。
その意味で、「マコのて」は「歩く」という課題に対してひとと「並ぶ関係」のロボットなのです。
「弱いロボット」の不便益
赤ちゃんは家庭の中で最も弱い存在でありながら、最も強い存在でもあります。
赤ちゃんは周りの助けを借りることで、ミルクを飲んだり、移動することができます。何でもかんでも自己完結的に「自分ひとりでできる」必要はないのだと、赤ちゃんの姿を見て思わされます。
また、赤ちゃんのお世話をすることで、周りもまた幸せを感じられたりするのだから不思議です。
「弱いロボット」もまた、周りの助けを借りつつ課題を解決するロボットです。そして課題を解決するだけでなく、ロボットとのコミュニケーションも作ることができます。けっして機能的な、生活を便利にするロボットではありません。それどころか「ゴミ箱ロボット」のようにひとの手間を増やしてしまうかもしれません。しかし、これまで見てきたように「弱いロボット」は生活を色彩豊かにするロボットです。
この「便利・不便」をどう考えればいいのでしょう。
最後に「不便益」について触れていきたいと思います。
不便益とは
「不便益」とは、不便だからこそ得られる効用のことです。不便さにより「工夫」や「出会い」が促され、達成感や自己肯定感を得られるというのが「不便益」の特徴です。
しかしながら、「不便益」と聞いても耳馴染みがありません。「不便」なのに「益がある」とはどのようなものでしょうか。
お菓子のヒット商品として「甘栗むいちゃいました」というものがあります。甘栗の皮をむく手間を省く、「便利」な商品と言えます。一方、「ねるねるねるね」はわざわざ「練る」作業を強いていますので、むしろ「不便」な商品かもしれません。いっそのこと「ねるねるねるね練っときました」として売り出してみたらいかがでしょう。……誰も買わないですね。
『不便益―手間をかけるシステムデザイン―』の中で、京都大学の川上浩司さんは、不便による客観的益を「システムが提供する機能」と捉えてみる考え方を提唱します。
不便ゆえに頭を使わせ、体を使わせることで「能動的な工夫」や「気づきや出会い」を促し、老人などの「スキル低下防止」にもつながります。
「不便益」は「便利益」に比べ、定量化しづらいものです。しかし定量化しやすい面ばかりを見ていると、「不便益」を見逃してしまいます。
「5時間の移動」に比べ、「5分間の移動」の方が有益そうに見えますが、「富士山頂上までのエスカレータ」では登山の醍醐味である達成感や自然との触れ合いを喪失させます。
「不便益」とは、不便だからこそ得られる効用のことです。本記事で紹介した「ゴミ箱ロボット」と子どもたちの交流は、単なる「ゴミ箱」や自己完結した「お掃除ロボット」では実現しなかったことでしょう。 このように、「あえて不便にする」ことで思わぬ発見があるかもしれません。
まとめ
「弱いロボット」とは、「ひとりでは何も出来ないロボット」です。
一見、不便で役に立たないようなロボットですが、彼らと触れ合うことでロボットの活用の広がりを目の当たりにすることが出来ます。
- ゴミを拾えない「ゴミ箱ロボット」
- もじもじロボット「アイ・ボーンズ」
- 顔色をうかがう「トーキング・アリー」
- 目玉だけの「む〜」
- 並び歩く「マコのて」
これら5体のロボットを紹介してきましたが、いずれも自己完結的でなく、ひととの関係によって課題を解決する工夫がなされています。あえて不便にする工夫によって、「弱いロボット」たちは、キカイ的なロボットではなく、意思のあるひとつの生き物のような存在となっています。
今後もAIなどの発達により、さまざまなロボットが私たちの身の回りに現れることでしょう。便利なロボットももちろんいいですが、「弱いロボット」というアプローチも、私達には必要なのかもしれません。